1942.ギター練習コードC

ギター練習

ギター楽しいです。漫画1pです。

初心者向け練習ネット記事とか読んでやってます。本当に1から、中学の時音楽の授業でギター触ったきり触れてこなかったし他の楽器も一切やってないので新鮮。

でもやろうと思って調べればやり方はそこらじゅうに転がってて独学でも困らないな。

日記はこれと別で文章を書いた。以下に掲載。

ギター独学日記

8月14日

昼間に荷物が届く。箱がデカくて棺桶みたいで笑った。

開けたら中身は1/3くらいのサイズ感でまた笑った。

ギタレレ。語感がカップリング名みたいだなと思う。(ギター×ウクレレ…?)まあハイブリッドなのでラバ的な発想で言えば間違ってない。愛し合った末の子孫かどうかは不明。どちらかと言えばキメラか?

仕事終わりに即開封し、軽く触ってみる。ギタレレはふつうのアコギより音が小さいと聞いていたが、全然デカく感じた。賃貸で引くには罪悪感があるサイズ感だ。弦をスポンジで挟むタイプのミュートをすぐにAmazonで購入した。

まあ深夜ではないし…と思い10分だけ触ろうと、初心者向けギター講座のサイトを参考に弾いてみる。

ドレミの弾き方があり、弾いたら全然音が違って、まずやらないといけないのはチューニングだと悟る。

アプリのチューナーを使うと難なく音をお合わせることができて感動した。

そのあとドレミをもう一度弾く。

ドレミだ。

自分の知っている音だ。

すごい。自分には音楽の才能が皆無だと思っていたが、指示通りの行動をとれば別に音は出せるんだ。知らなかった。そう言えば音楽の授業はそれなりにできた。忘れてた。自分だってやればできるんだ!

と、ものすごく感動した。

そのあと基礎練習のクロマチックというのを少しやってみたが、むずい。

なんか握り方がおかしい気がすると思って、youtubeで握り方講座を探してみると、急にやりやすくなった。先人に感謝である。

楽しすぎて気づいたら1時間近く練習していた。

原稿があるから10分だけ触ろうとか宣っていたのは自分だというのに。

しかし楽しいことがあるのは、人生にとっての幸いである。

8月15日

コードというものに挑戦した。いきなりCで詰んだ。言われた通りにやりたいのに、どう足掻いても指が届かない。

なんだこれ?無理なのか?ギターは指の長さを持たざるものが触るべきではないのか?

と思ったけど、子供がアコギ弾いてることあるし、多分違うな…と判断し、「Cコード できない」とかで検索したら、そもそも爪が長いせいだった。

爪を切った上でやってもまだ指より爪が長く、それで弦が押さえづらいとのこと。

爪を削るわけにはいかんやろ、と解決法の動画を見ていたら、練習していけばそのうち爪が短くなるよ!っていうパワー型解決策で、そんなわけあるか!と思って根気よく他の情報を探したら、ちゃんとパワー以外の解決法もあった。

指を下から真上に抑えるのではなく、少し斜めに抑えるというもの。さすれば指肉と爪が干渉しづらく、本当にギリッギリではあるが自分の今の指でも正しい音が出た。

CとAコード以外はわりとすんなりできた。

思ったよりも自分の左指は思い通りに動く。器用だ。

皮膚は薄く根性がないが、コード表を見て指を押さえてみたら、手の小ささで届かない不便はあれど、それなりにちゃんと音を鳴らせた。

知っている美しい音を自分が出しているという感動が常にある。

楽しい。

だんだんギターのことが好きになってきた。ギタレレちゃんが愛おしく感じる。自分の行動を結果で返してくれる、素直でかわいいやつ。

2日目にしてこのザマ。ちょろい。

自分はずっと英語も楽器も勉強してみたかった。でも絵に比べるとそこまで憧れがなかった。一番好きなことに専念した方が時間がもったいなくないと思ってた。

実際は習得の過程に変え難い喜びがあり、それは練度とはさほど関係なく、努力が身を結ぶことにより得られる。

やってみたい、と思ったら、やりゃいいんだな。

それがわかったことは大きなことだと思う。

自分の人生の楽しみはいくらあってもありすぎるということはない。

依存先を増やすことが健全な自立という話があるがそれと同じかもしれない。

また、やってみないとわからないことがある。ギターを弾く人の左手の爪は短いとか知らなかったから。知ったことで、それを使ったエピソードとかトリックとか考えれるようになった。創作に役立つ。
知識や経験をいろんな方向に広げるのは、ありとあらゆることに役にたつ。損はない。あるのは死までの執行猶予だけだ。

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